君は夏の花

「お誕生日、おめでとう」

 じりじりと蒸し暑い夏の夜。オーエンはフォルモーントシティへ帰ってきた。カインの誕生日というイベントを祝うために。仕事から帰宅して玄関を開けた瞬間に祝われたカインは、間抜けな顔を晒して驚いている。少し気分がいい。連絡ひとつせず、勝手に鍵を開けて彼の部屋に上がり込んだ甲斐があるというものだ。

「また、待たされた」
「オーエンが来ていると知っていたら早めに切り上げてきたよ。どうしてそんなに報連相ができないんだ、おまえは……」

 そんなもの、カインの驚いた顔が見たかったからに決まっている。まんまと狙いを成功させて、オーエンはさっさとリビングに戻っていく。もはや勝手知ったるカインの家だ。あとからあわててついてきた部屋の主から、素直な問いが投げかけられた。

「もしかして、俺の誕生日にあわせて帰ってきてくれたのか?」
「……そうだよ。うれしい?」

 「そりゃ嬉しいさ!」と明るい人好きのする笑顔を向けられて、オーエンは眩しさに少しだけ視線を逸らした。いつもこうだ。カインに笑顔を向けられると、言ってやろうと思っていた意地悪がその半分も出てこなくなってしまう。きっとカインがオーエンの『特別』だからだ。思い通りに振る舞えないことはとても不満で、だからカインにも同じものを味わわせてやりたい。オーエンを『特別』にして、存分に困ればいいのだ。
 リビングのソファに並んで座ると、カインがなにか箱を抱えていたことに気付く。そういえば人間の誕生日はケーキを食べてお祝いをするらしい。期待する視線を受けて、カインが箱を軽く揺らす。

「ボスとネロから誕生日に残業祝いだってフライドチキンをもらったんだ。一緒に食うか?」
「……いらない」

 落胆を隠そうともしない返事にカインの笑顔が苦笑に変わる。けれど思わず零れた「こんな遅くに脂っこいものよくないだろ……」という小さなぼやきが届くと、オーエンまでくすぐったくなるような微笑みと一緒に頭をぽんぽんと叩かれた。

「心配してくれてありがとうな」

 うん、と小さく頷き返すことしかできなかった。こんなの全然自分らしくない。フライドチキンを美味しそうに頬張っているカインを見つめながら、オーエンはさらにらしくもなく緊張していることを自覚していた。今日この日のために用意したプレゼントを渡したいのに、いざそうしようとすると何故か全身が強張ってしまうのだ。カインは喜んでくれるだろうか。大切にしてくれるだろうか。不安が不安を呼んで、食事を終えたカインに声をかけられるまで、オーエンは思考の海に沈んだままでいたらしい。

「あの、カイン。……これ、誕生日プレゼント」

 トランクから包みを取り出して、少し早口になりながら押し付けた。声はうわずらずに済んだだろうか。一方のカインは目を見開いて、オーエンと包みを交互に見ている。オーエンが誕生日プレゼントを用意してきたことが、そんなに意外だったのだろうか。オーエンらしくないことは、オーエン自身が一番よく知っている。

「開けてもいいか?」
「……どうぞ」

 確認の後、カインが簡素な包みを解くと、中からは小さいけれど厚みのある冊子があらわれた。表紙は可愛らしい三頭の犬のシールでデコレーションされている。

「……アルバム?」
「映像もあるけど、レトロでいいでしょ? 旅の景色の中から、君に見せたいと思うものを選んだんだ」

 プレゼントはこれしか思いつかなかった。他のやつにはできない、オーエンにしかできないプレゼントがよかったから。どうやら正解だったようで、カインは感慨深そうにアルバムのページをめくってくれている。オーエンはカインに気付かれないように、そっと胸を撫で下ろした。

「オーエン……。ありがとう、大切にする」
「明日は休みでしょう? 一日かけて君の感想を聞かせて。いいよね?」
「それはいいが……どうして明日は休みだと知っているんだ?」
「署のデータをハックしておまえの勤務表を見たから」

 カインは絶句してしまったが、世界最高のアシストロイドを舐めてもらっては困る。オーエンがその気になれば、リアルタイムにカインの居場所を特定することすら容易い行いだ。

「ねえ、カイン。人にとって、誕生日って、どんな日?」

 安心したところで零れたのはそんな質問だった。アシストロイドのオーエンには誕生日という概念が存在しないし、製造日を誕生日としたところで、祝うことが習慣になるとは思えなかった。こうしてカインの誕生日を祝ってみても、ちゃんと理解できた気がしない。オーエンの質問に、カインは少しだけ考える素振りを見せてから答えてくれた。

「俺にとってはパーッと騒いで飲める日……でもあるが、今日まで自分を支えてくれた両親や仲間や友人に感謝する日、かな。あらためてこう言うと、なんか照れちまうが……」

 照れくさそうに笑うカインを眩しい、と思う。「だからおまえにも感謝してるよ」と付け足されて、むずがゆい心地がした。夏の花のような黄金色の双眸が、優しさと親しみをたたえてオーエンを見つめている。この一年間、カインのためにオーエンはなにかできたのだろうか。

‐‐‐‐‐

 明日に備えて休もうと寝室に場所を移したところで、カインに「どこにも行くなよ」と釘を差された。前回この部屋に来たとき、寝ている間に出ていったことを根に持っているのだろうが、なんとなくドキドキしてしまう言い回しだ。「さあ、どうだろうね」と返したが、もとより今夜は勝手にどこかに行く気はない。明日、カインにアルバムの感想を聞きたいし、それにもうひとつ、わがままを言いたいから。

「ねえ、一緒に寝てもいい?」
「え、狭いぞ?」
「平気」

 オーエンにしてみれば口にするために勇気のいるわがままだったのに、カインはすんなり受け入れてくれた。子どもが甘えているようにしか思われていないのかもしれない。
 カインのベッドは、成人男性とほぼ同身長のアシストロイドがふたりではやはり狭い。楽な体勢を探そうとしたカインにまるで抱き込まれるようなかたちになって、オーエンは動揺を隠しきれず固まってしまった。

「苦しくないか?」
「だ、だいじょうぶ……」

 耳を澄ますと、とくとくと、カインの心音が聞こえる。アシストロイドの自分には縁のないもののはずなのに、聞いていると心が落ち着く気がするのはどうしてだろう。これもカインだから、なのだろうか。深呼吸すると、真昼の太陽のにおいがするような気がした。

「おやすみ、オーエン」
「おやすみ。カイン」

 ベッドの中で少しだけ他愛もないおしゃべりをして、やがて健やかな寝息をたてはじめたカインの寝顔を眺めながら、オーエンはテーブルに置いたアルバムの中身を思い返す。氷の湖、深い森。いろいろなところを旅した。たとえデータ通りだしても、初めて見る景色に出会うとドキドキした。すごく楽しい。

(楽しいけど……楽しいから、たまに隣に君がいたらどんな反応をするか考えることがある)

 ふと、知りたくなるのだ。カインが初めて見るであろう景色を前に、どんな反応をして、オーエンにどんなことを語りかけるのか。これまでのデータからカインの思考をシミュレートして再現することは簡単だ。だけどそんなことには意味がない。オーエンは本物のカインにしか興味はないのだから。

(僕と一緒に旅をする君も、君と一緒に街で暮らす僕も、考えてみたけれど、ぜんぜんちがう。それは君と僕じゃない)

 本物のカインはひとりしかいないのに、そのカインは全然オーエンの思い通りにならない。街の外になにがあるかなんて、彼はオーエンの話でしか関心がなさそうだ。彼はきっとこれからもこのフォルモーントシティで、多くの人に愛され、多くの人を愛して生きるのだろう。そしてそこにはオーエンも含まれている。
 オーエンにしても、カインのことは好きだけれど、カインがいるこの街にずっと住むなんて選択肢はぜんぜん思い浮かばない。街の外にはまだまだオーエンがデータでしか知らない景色があって、もしかしたらデータにすらない未開の地もどこかに眠っているかもしれないのだ。それらを探さず、街で安穏と暮らすなんて、そんな自分は自分ではないとすら感じる。それに、カインから貰うなら、他の人と同じ愛情じゃ足りない。オーエンはカインの『特別』になりたいのだから。

(一緒に暮らさない、一緒に旅もしない『特別』のほうが、よっぽど僕と君の形らしい)

 カインがオーエンを『特別』にしてくれるかはわからないが、オーエンにとっての『特別』はカインだ。今のところ、他にはいない。この一年と少しで色々な人に出会ったが、カインと同じだと感じる人はどこにもいなかった。カインだけだ。オーエンに与えられた心を、こんな風にかき乱すのは。
 けれど、こんなに『特別』だと思っていても、オーエンの生き方とカインの生き方は全然重ならないのだ。そしてオーエンは自分の生き方もカインの生き方も、変えたいとは思わない。

(だから一緒にいる短い時間に、一生分、君の話を聞かせて)

 いつか、オーエンはカインと別れる時が来る。今はまだ想像もつかないが、きっとその日は来る。この優しいぬくもりを失くしたあとも、自分はひとりで世界を旅しているのだろうとオーエンはぼんやり思う。永遠のような旅の中で、時々カインのことを思い出したい。そしてそれは感傷に浸る時間ではなくて、ふとした楽しい旅の思い出が蘇る瞬間がいい。オーエンは生まれて初めて用意したプレゼントに、そんな願いを込めた。

(黄金の大地や雨の沼を見たときに、君がなんて言ったか、僕なら永遠に覚えていられるから)