アニメ『pet』を見た。原作は未読。
見始めた理由は『父性への依存と脱却』というような感想を見かけて興味が湧いたから。
精神世界の奇抜な表現と見進めれば納得できるとはいえ耽美な描写は視聴者をふるいにかけると思うので、他者には勧めづらいけれど面白かった。でも私が「面白くなるだろう」と期待して見続けたのも先述の感想を見かけていたからこそで、偶然見ただけだったら早々に脱落していたかもしれない。
親である林、親を求める子のまま親でもある司、子であるヒロキと悟の構図。
親ふたりが去ったあと残された子ふたりが見た、やるせなくも希望を含んだラストシーンの美しさ。苦しみの中で自分が愛したものも自分を愛してくれたものも自分自身すら結局自らの手で壊してしまった司。全編を通して桂木にたっぷりと積ませたヘイトを終盤に来て作品の説得力に転じさせる使い方。好きだった。
描写量もその内容もポジションの比重も司に偏っているように思えたので、これで主役は司じゃないの?と疑問だったけれど、最後に主役がヒロキである理由、司とヒロキと悟の3人がメインに置かれていた理由を理解させてくれたことも気持ちよかった。起承転結の積み方と応え方が堅実だったと感じる。
親が去り子が残る結末が昔から好きなので、そこで加点高めになった自覚はあるものの、まあ最初に興味を抱いた理由に応えてもらえたということなので。
キャラクターとして好きだったのは司と桂木。
司は親としてヒロキと暮らしていくのが一番幸せに近い形になれただろうけれど、子として満たされないままの司に親の役割を求めることはあまりに酷で理不尽だと私は思わずにいられないので、ああいう形になってしまったことは悲しくもあり安堵もあった。
愛を受け取り、愛がそこにあると認識し、そして愛を手渡すことは連続したセットで、2つ目3つ目だけこなすことは難しい。どちらが勝る劣るという話ではなく、司が林に求め続けた『親からの愛』とヒロキが司に向ける『子からの愛』は密接に繋がりながらも決して代替にならない別物。
司が苦しいまま親として生きていくことにならなくてよかった。司はもう休んでいい…。
桂木は『作品のために存在するキャラクター』として、ずるいくらい効果的な使われ方だったと思う。ものすごくよかった。あの初見でしか生まれない「あっ…」がこの作品で一番印象深い体験だった。大まかすぎる(しかし私にとっては非常にキャッチーな)感想しか知らないまま視聴できてラッキーだったな。