ミムメドンの思い出とSNSあれこれ

グラブル専用マストドンサーバー『ミムメドン』が2021年5月28日で閉鎖した。

マストドンはほとんどの人にとってはよくある『Twitterで一瞬バーッと話題になっていつの間にかスーッと消えていたやつ』でしょうが、2021年現在もそこそこ健在で、ミムメドンは4周年まで迎えた長寿かつ人気インスタンス(各サーバーのこと)でした。

入り浸りの時期もあればまったく開かない時期もあったけれど、本当にたくさんお世話になりました。楽しい遊び場を用意してくださった管理人さんにただただ感謝です。長期にわたる管理運営、お疲れ様でした。

SNS適性マイナスの私がひとつのコミュニティで長期間楽しくやれたことに我ながら驚いているので、ミムメドンの自分に合っていた点などを振り返って思い出に書き残しておきます。

『大部屋のチャットルーム』だった

各々が別内容のタイムラインを見ているTwitterに対し、ミムメドンはその場の全員が大部屋のチャットルームにいたイメージでした。ミムメドンではフォローしているアカウントの発言のみが流れてくるホーム(Twitterでいうタイムライン)より、インスタンス内の全発言が流れているローカルタイムラインが圧倒的に主流だったので。

Twitterで同じ仕様のものを見たとして、交流はおろか解読すら難しい速度も内容も滅茶苦茶な濁流があるだけでしょうが、ミムメドンはグラブルに話題を限定したインスタンスであり、マストドン自体最大手SNSでもないので読みきれないようなことにはそうそうならない(とはいえ、ROMを含めると古戦場中の朝活時間帯は1000人いたそうです)
それこそグラブルで周回しながら横目で追ったり追わなかったりするのにちょうどいい塩梅。深夜早朝も少人数のお決まりの顔ぶれがいたりいなかったりして、このあたりもなんともチャットルーム感があってお気に入りでした。

『この投稿はフォロワーにのみ見せる機能』なんかも存在はしていて、積極的に利用していた人々もいたし、そのなかには陰湿ごっこのようなノリもあるのだろうと、それとなくローカルタイムラインにまで漏れていることはあった。
けれど私は約4年間ローカルタイムラインしか見ていなかったし、フォローシステムもほぼ利用しなかったけれど、そのことで面と向かってなにか言われたりはしませんでした。

とにかくこの環境が非常に楽で快適だった。全員がほぼ同じ内容のローカルタイムラインを見ていることでコミュニケーションの前提としてのフォローが不要になると、フォローフォロワーシステムに付随するあらゆる面倒臭さが大きく解消される。そのうえで話題をひとつのゲームに限定し、ローカルルールも機能していたことにより、コミュニティの中身が混沌としすぎることもありませんでした(後述)
リプライも気軽にスルーしたりされたりできて、そのあたりの構い合いも私にはちょうどよかった。

『自分のタイムライン』がなければアカウント作り直しに意味はない

Twitterのアカウントは何度作り直したか覚えていないけれど、ミムメドンはひとつのアカウントで完走しました。
フォローによってタイムラインが作られフォロワーとして自らも誰かのタイムラインの一部になるTwitterでは、それらのリセットを目的にアカウントを作り直すことがあります。けれどローカルタイムラインが主流のミムメドンでアカウントを作り直したところで、全く同じローカルタイムラインがあるだけ。

Twitterのタイムラインは自らの構築の結果とよくいわれるけれど、マストドンのローカルタイムラインに影響する構築力などブロックミュートくらいのもの。合う合わないがあるだけで成功も失敗もない。目の前にただ川が流れているだけ。できることはほとんどないのだから、合わなくとも自分に責任もない。

ローカルタイムラインにびっくりするほど合わない発言が流れてきても、「びっくりするほど合わないな~」で流すことができていました。おそらく私はTwitterのタイムラインを『自分の領域』と捉えすぎている。そこに流れてくるツイートに対して、自分の領域に他者の自我が流れ込んでくるような気がして過敏になりやすいし、心身が疲弊しているときは内容問わず見ること自体がつらいし、合わないものをスルーできなくなりがち。面識もない他者とのグループに勝手にカテゴライズされること(~クラスタ的な)に強い拒否感を覚えるのもここからだと思う。自我や自意識と結びつけすぎているところを、もう少し離して俯瞰になれると楽になるのだろうけど、やろうと思ってできる範囲には限界があるので難しい。距離を取ることしかできない。

マストドンのローカルタイムラインは前述の理由で自分の領域感が全くなく、私にとってそこが良かった。

話題を限定すると見える人間性が限られる

話題の限定は運用方針を守る本来の目的と同時に、それ以外の思想が見えづらくなる副次効果があったように思う。非常に重要で譲れない思想(たとえば政治宗教野球)を違えていたとしても、互いに気付かないままであれば一緒に楽しく遊ぶこともできるわけです。

Twitterでミムメドンユーザーのアカウントを見かけたことは何度もあったけれど、あらゆる思想とノイズの飛び交うTwitterでは共通の趣味がひとつあるだけでうまく関わっていくことは(私には)難しい。ですが、そんな人たちとミムメドンでグラブルやたまにそれ以外のお話ができたことは本当に楽しかった。

全員の共通の趣味ひとつだけをピックアップすることで、様々な人たちと遊べる場所でした。『SNSならTwitterだけでいい』なんてことはない。

グラブルそのものがミムメドンに向いていた

これはとくに個人的な感覚ですが、グラブルは手持ちを開示しての編成相談、クリア編成報告、ドロップやらなんやら、インターネットに見て見てー!したくなることが多い気がしています。ソシャゲは他にも色々触っていますが、グラブル以外はもっと黙々と遊んでいるので…。
そういうときの見て見てー!先としてミムメドンがありがたかったので、これが他ソシャゲのコミュニティだったらもし参加していても長続きしなかっただろうと思う。

最後にいろいろ

まあ人がたくさんいればどうしても無理だな~ということもある。そういうときはサクッとブロックしていました。ローカルルールには『合わなければそっとブロックしていい。ただし誰々をブロックしたorされたは言及しないで(要約)』とあり、ちゃんと機能していたのでとくに面倒なことはなかった。

管理人さんが頻度高くローカルタイムラインに顔を出してくれていたおかげで、ローカルルールがきちんと機能し、話題が脱線しすぎれば参加者間で軌道修正するなど、コミュニティの治安が保たれていた印象が強いです。小~中規模コミュニティゆえの安心感と居心地の良さがあった。

ただこれは年月の経過とともに人が減っていったときにいわゆる内輪の限界集落化と隣合わせになりそうだったので(常駐していた身としてうっすら予感もあった)、まだ人が多いタイミングでの幕引きとなったことも寂しいけれどよかったのかもしれない。良い思い出にできる引き際は大切。

マストドンでインスタンスを無事に運営していくためには知識も費用も必要ということは一利用者から見ても明らかだったので、今から新規に特定の話題に限定したコミュニティを作るなら、選択肢の筆頭はおそらくdiscordになるのでしょう。個人的にミムメドンが私にとって快適だったのはマストドンだったからこそと感じているので、discordが主流になる前にマストドンとミムメドンを経験できてよかったと思う。
ミムメドンの後継も同管理人さんのdiscordサーバーと、別管理人さんのインスタンスになるそうです。寂しくなったらそのうちお邪魔してしまうかもしれない。

最後にあらためて。一緒に遊んでくださった方々、管理人さん、長い間本当にありがとうございました!
楽しかったな~!いつかまた好きなゲームであんなコミュニティにめぐり逢いたいです。