物語の中にある好きな寂しさの話をします

私は物語の中の死別の寂しさが好きで、それからも残された人々の人生は続く…という寂しさが好きで、その先で新しい幸せに出会えたり出会えなかったりする寂しさが好きです。
でも死別というドラマチックな出来事がなくても、世界と生活の隅々にある寂しさも好きです。寂しさを抱えたまま過ぎていく時間を生きているキャラクターが好き。

この感情を近年もっとも鮮烈に感じたのがまほやくのメインシナリオで、あの寂寥感に魅入られてしまいました。
だからこそまほやくのメインシナリオを追ってメインライターの描きたいものに近付くことで、長年ずっとぼんやり追いかけ続けているこの寂しさの回答までが見られるのではないかと期待してしまっています。
うまく言葉にできないけれど、『生きているだけで寂しい』くらい寂しさに優しい物語だと感じます。

寂しさが好きという話、何度かしているのですが、もっと具体的に書けないかな…と思ったので、この記事では私の中でこの嗜好の根源のような寂しさと、近年好きだった寂しさの話をします。

『バトル・ロワイアル 特別篇』

私のなかで『萌え』の根源のようなシーンであり、寂しさが好きという嗜好にも繋がっているのでまず最初に書きます。

特別篇から追加されたシーンのひとつに、球技大会のバスケ決勝戦のシーンがあります。
光子はサボっていて、クラスのみんなの盛り上がりにも最初は興味のないふうをしていました。
ですが試合はちゃんと見ていて、七原が決勝点を決めたとき、思わずといったように光子は立ち上がって、他のみんなと変わらない嬉しそうな顔をします。そのままみんなの輪に入っていこうとして、でもすぐに我に返って、離れていく。結局離れたところからクラスの大熱狂を見ています。

私は相馬光子というキャラクターと、このシーンが大好きです。一生こんなキャラクターと、こういうシーンを愛していくのだろうと思っています。

『リゼロ』2期最終話

エキドナの棺の前でベアトリスとロズワールが話をするシーンがとても好きです。
エキドナというふたりにとっての中心人物を失ってから、長い時間がすぎて様々なことを経て、思い出を共有しつつも考え方を違えていたベアトリスとロズワールが、エキドナが欠けたままふたりだけで話す…という、あのシーンの寂しさが好き。
「本当に私と君は言葉を交わし足りないね。先生のおそばにあれたときから、ずっと」という距離感も好きだし、そこからの「…ロズワール。おかえりなさい」「ああ、そうだね。ただいま、ベアトリス。…おかえり」にはそれでもふたりの間にたしかにある繋がりを感じられて好き。

『ID:INVADED』6話

ずっと同じところを走り続ける列車という井波七星のイドと、その中で「ずっとこのままでいいの」と彼女の心が聞けた時には、現実はもう彼女にとって取り返しのつかないことになっている見せ方が大大大好きです。
物悲しさも因果応報も彼女の行動の結果として美しい。井波七星めちゃくちゃ好きな女だった…。

『プリンセスプリンシパル』10話

ストレスの中で生きて蝕まれて飲み込まれていった委員長が、「今でも夢に見るのよ…」とドロシーとの幸せな思い出を語るシーン。
思い出は美しくて、でもそのぶんだけ目が覚めてひとりきりの現実に引き戻されるたび、現状との落差ともう二度と戻れないことを痛感させられて苦しかっただろうな。そのやるせなさが好きです。
委員長のドロシーへの憧れが誰にも(視聴者にも)気付かれないまま、別れの言葉としてようやく打ち明けられたことも好き。内に秘めて抱え込んで生きすぎたのだと実感させられます。

『グラブル』ロゼッタ(リミテッド)のフレーバーテキスト

妖艶なる微笑に真実を秘めながら、彼女は空の旅路をなぞる。
その瞳には数多の景色が映っては過ぎ去るも、過去と現在を繋ぐ者として、小さな未来を見守っている。

グラブルで一番好きなテキスト。