カテゴリ「感想」[55件](6ページ目)
ホラー好きな人の中には『絶対安全な恐怖を味わいたくて』ホラーを見る人もいると見かけたけれど、私は『絶対安全な傷付き方をしたくて』フィクション作品に触れているところがあるので、傷付いたはおおむね作品への賞賛と感謝です。
#アトラス
私が人生で一番好きな作品はペルソナ2ですが、この作品には制作陣から大人になる過程で傷付き戸惑いさまよっている子どもたちへの、よく見れば純粋で真っ直ぐな応援が込められているように思っています。
とても取り返しなんてつかないような気がする失敗も喪失も、胸を張れる大人になるための助走やステップになってくれるかもしれない…という。
プレイ当時は里見さんの「僕たちはこの作品にポジティブなメッセージしか込めていない」に嘘!!!!!と叫んだものですが、今になってようやく、それもわかるような気がするのです。
それはそれとして、私がペルソナ2を人生で一番好きな理由は『子どもの頃に遊んだおかげでめちゃくちゃに傷付いた』からです。
私が人生で一番好きな作品はペルソナ2ですが、この作品には制作陣から大人になる過程で傷付き戸惑いさまよっている子どもたちへの、よく見れば純粋で真っ直ぐな応援が込められているように思っています。
とても取り返しなんてつかないような気がする失敗も喪失も、胸を張れる大人になるための助走やステップになってくれるかもしれない…という。
プレイ当時は里見さんの「僕たちはこの作品にポジティブなメッセージしか込めていない」に嘘!!!!!と叫んだものですが、今になってようやく、それもわかるような気がするのです。
それはそれとして、私がペルソナ2を人生で一番好きな理由は『子どもの頃に遊んだおかげでめちゃくちゃに傷付いた』からです。
#ウマ娘
ウマ娘は各育成シナリオの物語を読んでいると、制作陣の、競馬という勝負の世界とモチーフ競走馬への果てしない愛情と敬意に包まれているような気持ちになれるところが好きです。
ウマ娘は各育成シナリオの物語を読んでいると、制作陣の、競馬という勝負の世界とモチーフ競走馬への果てしない愛情と敬意に包まれているような気持ちになれるところが好きです。
#まほやく
まほやく、やっぱり『これは私のための物語だ』と思わせてくる力がすごい。賢者の魔法使いと賢者もあわせた22人の誰か、もしくはみんなが、物語自体が、現代社会で傷付いた自分の傷薬になってくれるかもしれない。知らない誰かが書いたものに『これは自分を救うものかもしれない』と思えること、なかなかないですよ…。
もちろんこういうお話だけが素晴らしい!と言いたいわけではなく、色々な作品の形があって、需要も人それぞれ様々な形があって、私とは全く違うものを作品に求めている人もいるという前提で。私はまほやくから感じるこの形をすごく好きだなと思う。
まほやく、やっぱり『これは私のための物語だ』と思わせてくる力がすごい。賢者の魔法使いと賢者もあわせた22人の誰か、もしくはみんなが、物語自体が、現代社会で傷付いた自分の傷薬になってくれるかもしれない。知らない誰かが書いたものに『これは自分を救うものかもしれない』と思えること、なかなかないですよ…。
もちろんこういうお話だけが素晴らしい!と言いたいわけではなく、色々な作品の形があって、需要も人それぞれ様々な形があって、私とは全く違うものを作品に求めている人もいるという前提で。私はまほやくから感じるこの形をすごく好きだなと思う。
パラロイでオーエンがいる前で彼を作ったことを間違いだったと話す大人たちに対してカインが我が事のように怒鳴ってくれるところと、「俺はこいつを保護する。人間の権利を守るのが俺の仕事だからだ!」ってセリフが好きで好きで大好きでスクショを見返すだけで泣いてしまう。
中央の自分の力を他人のために使うことを当然の使命と考える尊い性質を気高くて遠いものというより身近であたたかな炎のように感じられたし、『人間としての権利を守られる』って人間ではないけれど心のある『子ども』のオーエンが今まで守られた経験どころか顧みられたこともなかったもので、それを鑑みて守ってくれる『大人』がオーエンの前にあらわれてくれたことによかったね…って気持ちがあふれてしまって泣けるのだと思う。どれだけの子どもがそんな大人と出会えるだろう。本来そうあるべきなのに、全然普通じゃなくなってしまったことだから。カインに対して『子どもの夢を守る人』という印象が強い。
パラロイのカイン、本編の閉じ込められて助けてくれる誰かを待ち続けていた頃のオーエンが終ぞ出会えなかった『(当時のオーエンが思い描いていたような)騎士様』のような気がする。騎士様が迎えにきてくれたifがパラロイと考えると、パラロイのオーエンの無邪気さ純粋さにはたまらなく切なく感じるものがあります。
ただ同時にパラロイは本編のオーエンの性質を否定もせず、ラストの現実のシーンではオーエンの性質を個性であり自ら望んで行う意思表示であり、自己責任でもあると描かれているように感じます。その一方で世界に理不尽に傷付けられて助けてもらえなくて世界を呪ったオーエンも現実に存在している。
それらの片方だけを注視していては見誤りそうな存在がオーエンで、その両輪をもってオーエンというひとりのキャラクター…ということだと受け取ったうえで、あらためてパラロイを好きな物語だなあと思い返します。